Monday, 13 July 2009

CHT先住民族、最悪の水危機に直面

訳:ジュマ協力基金)

チッタゴン丘陵地帯3県にはチョラ(Chhara)、チョリ(Chhari)、ロン(Long)、キャン(khyang)などの接尾語が付く地名が多数ある(例えばサッチョラ、ベッチョラ、バガイチョリ、ビライチョリ、シュバロン、カスロン、リグリキャンなど)。 それらの接尾語は先住民族の言葉で泉や小川を意味する。そのためバンダルボン、ランガマティ、カグラチョリの各地の地名が数百年にわたってCHTで暮らしてきた先住民族12集団の暮らしにとって重要な役割を担ってきた泉や小川に因ん名付けられたことは容易に理解出来る。

先住民族は、平野部の人々が使ってきたような近代的な利水技術を取り入れてこなかったためその技術に不案内である。 従って、先住民族は自然の水源、特に泉の水を灌漑、農耕はもとより、飲み水、料理、洗濯、水浴び用として頼ってきた。 すべての村は、それ故に泉の近くに建設された。棄てられた古い村も、近くにあった泉が涸れたことが原因で人々が去ったと考えられる。

CHTのすべての川と支流は、そのエリアの数百に及ぶ泉が自然に合流したものである。カルナフリ川がチッタゴン港の機能を保つ上でいかに重要であるか誰でも知っているが、その水もそうした泉からのものなのだ。同じく、サング川、ナフ川、マツムフリ川他の河川も泉を源流としている。

CHTの先住民族にとって悪いニュースだが、この地域の泉は涸れ始めている。CHTには100年前、推計20万ヵ所の泉があった。 この地域に現在、泉がいくつあるのか統計はない。しかし、CHTの殆どの地域で年々多くの泉が涸れてしまっていることを、地元の人々はみんな知っている。

チッタゴンとランガマティの途中のガグラに大変重要な泉があるが、7,8年前までは一年中満々と水を湛える力強い泉であったが今は僅かにその面影を残すのみである。

ランガマティとマハルチョリの間には良質な泉が数多くあったが、近年それらも殆ど涸れてしまった。ランガマティ県のライカリ・ユニオンにある有名なNyoungmrongの泉は数百軒の先住民族家庭に灌漑用水と家事のための水を年中供給していたが、今は涸れてしまった。 Nyoungmrongの泉が涸れてしまった後で、たった一つの水源となったBrimongの泉も水勢がかなり衰えている。村人は現在、この泉の土手に100年以上続いてきた歴史ある村を棄てるかどうか悩んでいる。

Mura Chhari UnionのGhumni Ghat 泉, Satari 泉, Pengjamrong 泉、Kolabong 泉、 そしてMiasachari UnionのKaria Frya泉, Manchhari 泉も同様の運命を辿っており、それらの泉の周囲に長年にわたって暮らしてきた先住民族は深刻な水危機に直面している。

CHTの泉は、世界中の至る所で見られるような溶けた氷や氷河から流れ出た水が噴き出しているのではない。 チッタゴン丘陵地帯の泉は樹木の根を伝って山々の裂け目に流れ落ちた水が源となっている。それ故、山霧と降雨はそのプロセスを早める。もちろん、そのように泉が創成される素晴らしいプロセスは原生林に厚く覆われた山々だけに起こりうる。しかし、CHTの原生林は過度の人口増大と政府や開発機関による無分別な開発イニシアティブによって急激に減少してる。

ここで過度の人口増加と政府の開発政策について大まかに検討してみたい。 CHTの1901年の総人口は124,762人であったが、2000年には1,325,041になっている。1997年までの10年ごとの人口増加は国全体で約18%であったのに対して、CHTでは47%だった。この人口増加は異常であるが、もとよりそれは1979年から1997年にかけて平野部のベンガル人がCHTへ移住するのを政府が後押ししたためである。他地域からの人々の流入がCHTの異常な人口増加の原因である。 80年代と90年代の各10年間の人口増加率はそれぞれ48%と67%にも上った。

CHTにおける急激な人口増加は全体の人口構成と民族の均衡に衝撃を与えた。先住民族とベンガル人の人口比率は1947年に97.5対2.5であったのが、現在では52対48である。

1962年にパキスタン政府は水力発電のためにカルナフリ川を堰き止めてダムを造り、人口の貯水池として現在有名なカプタイ湖が出来た。 この湖は先住民族の耕作地の4割にあたる5万4千エーカーを推定に沈めた。耕作地の減少と人口の増大は森林に対して深刻な圧力を生み出した。

伝統的に先住民族は(ジュムとして知られる)「刈り入れと山焼き」システムを営んできた。 焼畑を永続的に行うためには、丘陵地帯では植物を燃やして耕作した森が回復するために15年から20年の休耕期間を設けることが必要だと考えられている。 過去、土地と人間の割合は焼畑サイクルに理想的かつ必要な休耕期間が保てるよう釣り合っていた。しかし現在は人口過剰のために休耕期間は2,3年まで縮まってしまったが、それでは植物が生長し森が復活するには短すぎる。このジュム耕作の悪循環は、泉が生まれる前提条件である原生林が消失してしまう主要な原因の一つである。

チョンドラゴーナのカルナフリ製紙工場とその他の国中のパルプと製紙工場は、CHTから運び込まれる樹木と植物数百万トンの原料供給で成り立っており、この地域の森林破壊に重大な責任がある。カルナフリ製紙工場はCHTの先住民族にとって極めて重要な植物である竹を毎年数百万トン消費している。

政府といくつかの開発機関は商業林を作り、ティーク、アカシア、ユーカリなどの外来種を植林した。これらの外来種は、自然に森が再生しようとするのを阻害し、地下水面を低下させるなど環境危機を招いた。 さらに悪いことに、自然林の消失は気温上昇を引き起こし、そして降水量を減少させた。このようにして環境全体の変化が、結果としてCHTに水危機を生み出したのだった。

バングラデシュでは全人口の97%が安全な水を得ることが出来きる、と言われていた。しかし、ヒ素汚染(0.5 mg/L以上)の調査後、安全な水を得られる人口は70%まで落ち込んだ。 この安全な水が得られる地域の落ち込みは政府、援助機関、そしてNGOの頭痛の種となり、すべての関係機関はヒ素の恐怖から人々を救うために一致協力して活動している。

過去3年間にDANIDA(デンマーク開発協力庁)は単独で沿岸地帯8県の161,755本の手押ポンプ式井戸のヒ素検査を実施し、20,100本のポンプ式井戸、32の小水道システム、210箇所の池砂フィルタ、そして雨水を飲料用に蓄えるシステムを導入してヒ素に汚染された水を人々が飲まずに済むようにした。

バングラデシュの他地域ではこのように大きな機関が活動している。片やバングラデシュ政府はランガマティ、バンダルボン、カグラチョリの三県はヒ素に汚染されていないと公表した。

水がなくなったのに、いったいヒ素はどこから来るというのだろうか? もしかすると現実に関する認識が欠如しているのかもしれない。政府はCHTでいったいどれだけの人々が安全な水を入手出来ないか知らないし、ここでどれだけ広範に深刻な水危機が起きているのかも知らない。

「カウンティング・ザ・ヒル」のサンプル調査によれば、2.9%のムル民族、14,3%のトリプラ民族、32%のマルマ民族、26%のチャクマ民族が安全で信頼できる水源と考えられるポンプ式井戸を利用している。 残りの人々は、泉や川など安全性が確保できない水源から水を汲み、そして、その水が飲用として安全かどうかも分からないのだ。

毎年、辺鄙な村では水が原因の病気で多くの人々が命を落としている。さらに、ここでは水の消費は極めて低い。 水浴び、調理、飲み水、そして洗濯などで一人が一日に必要な水は最低でも50リットルだとされているのに対して、先住民族は5リットルで過ごしていたという観察記録もある。 水汲み場が遠いことが水の消費が少ない主な理由であり、そのことは確実に丘陵地帯の人々の健康にさまざまな悪影響を及ぼす。

政府と援助機関は、この水危機の重大性をはっきりと認識していない。マスメディアもCHTに対する知識不足や、山や森に近づきにくいことなどが原因で、この問題を取り上げてこなかった。その結果、厳しい水危機の下で暮らしている丘陵民の苦境について全く知られていない。

Author:
Md. Firoj Alam and Nyhola Mong
Published:http://www.thedailystar.net/2004/06/18/d406181801103.htm

Translation:Third Culture [http://thirdculture.com/jpa/jcc/index.html], Japan

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